Top > 山本勘助 > 山本勘助の出生の秘密

山本勘助に関する記述は、江戸時代前期成立の『甲陽軍鑑』を元にされる事が多いが、『甲陽軍鑑』に記述されている事件の年次自体史実と異なる部分がたびたび見受けられ、
また山本勘助の名および活動は(戦後に発見された市川文書を除き)
『甲陽軍鑑』以外の戦国時代から江戸時代前期の史料には見られていない。
その意味で、ここで記述した勘助の生涯の全てが『甲陽軍鑑』およびこれに影響を受けた江戸時代の軍談の作者による創作である可能性が高い

出生地

勘助は三河国宝飯郡牛窪(愛知県豊川市牛久保町)の出である。(クリックでgoogle マップへ)

『甲斐国誌』によると、勘助は駿河国富士郡山本(静岡県富士宮市山本)の吉野家に生まれ、三河国牛窪城主牧野氏の家臣大林家(または山本家)の養子に入ったとある。

他に異説が有る。駿河の富士郡に本拠を構える山本氏(勘助の先祖)が三河国八名郡賀茂荘(愛知県豊橋市賀茂町)へ移住し、賀茂荘に山本屋敷を構え、その後、明応9年(1500年)8月15日に山本光幸の三男として山本勘助晴幸が賀茂の地で誕生したと言う説である。豊橋市賀茂町にその山本屋敷の石碑がある。この説でも三河国宝飯郡牛窪(豊川市牛久保町)の牛窪城主牧野氏を頼る。

山本氏は、牧野氏・真木氏(槙氏)・野瀬氏(能勢氏)・岩瀬氏・稲垣氏と共に、東三河六騎衆の一つに数えられた、室町時代の愛知県東部の土豪であることは確実であるが、山本氏と勘助本人との関係について、諸説があり定説をみない。山本氏の系譜については、越後長岡藩の家臣団にも説明がある。

越後長岡藩文書(藩主・牧野氏)などによると越後長岡藩上席家老連綿であった山本氏は、山本勘助と同家であるとの記述が見られる。この長岡・山本氏は、山本勘助の弟の家系であると云われ、幕末に山本義路・大正・昭和の軍部に山本五十六などがいた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

豊川市ゆかりの有名人として、こんな人がいます。

* 山本勘助 武田信玄の軍師、三河牛久保出身。 
* 真木花藻 三河牛久保城の女官。 
* 山口保治 作曲家。代表作「かわいい魚屋さん」
* 長坂秀佳 「七人の女弁護士」等、推理系作品の脚本を手掛ける脚本、推理小説家
* 浦野起央 国際政治学者、日本大学名誉教授
* 市川和正 元プロ野球捕手(大洋)
* 加藤晴子 岡村孝子とあみんを結成

* 内藤尚行 元プロ野球投手(ヤクルト→ロッテ→中日)、野球解説者・タレント(ギャオス内藤)
* 中野友弘 元大相撲行司木村友一
* 城所龍磨 野球選手
* 富安風生 俳人、元逓信事務次官
* 渡辺いっけい 俳優

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